『コルナイ自伝』フォトアルバム-2 優れたグラフィックデザイナーのカシュ・ヤーノシュが描いた「温情主義」。1978年に著書の草稿を読んで着想。 ハンガリーで出版された著書『不足』の表紙。「裸の王様』を描いている(1980年) 後列中央 がケネス・アロー。彼の招聘で1968年にスタンフォード大学へ。前列の右端がアロー夫人のセルマ。中央が妻のジュジャ。もう一組の夫婦は、アラン・マン夫妻。2002年にアメリカを離れる時に、カリフォルニアを訪問した時の一コマ。 肩の手術の後、腰までギプスをして机に座っている私(1972年) スタンフォード大学の有名な噴水の前で(1973年) バラトン湖のティハーニィで、息子・娘(ユーディット)たちと(1972年) 母と(1964年) 母80歳の誕生日。兄のトミーと姉のリリーと一緒に。肩の再手術の後でギプスをしている(1972年) 母80歳の誕生日に集まった孫とひ孫に囲まれて(1972年)。 妻ジュジャと(1972年) ニュージャージーの海岸で娘のユーディットと(1972年) ジュネーヴのUNCTAD会議に出席して(1974年) インド・カルカッタの連続講義に参加した学生たちと(1975年) ストックホルム郊外のアパートから開ける風景。ここで『不足』を執筆した(1976-77年)。 ソルボンヌ大学学長から名誉博士号を受ける(1978年) 1978年の計量経済学会の会長講演前の一時。タイリング・クープマンスが私を紹介しているところ。 ハーヴァード大学リッタウアー・センター。1984年からここに私の研究室があった。 ハーヴァード大学の研究室で。壁にバルトークのポスターが貼られている。 ハーヴァード・ホール。大学のもっとも古い建物の一つ。1990年からここで講義した。 ハーヴァード大学の講義での一コマ。 ハーヴァード大学の講義の一コマ。 北京にてインジ・キアン、ジュジャとともに(2001年) 『コルナイ自伝』フォトアルバム-3へ